「自分らしさ」はいつだって自分の中にある。だから何度でも取り戻せる。

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アイキャッチは春に行った奄美の海。
キレイだったなー♪

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これまで自分は「常に自身の心境を俯瞰している(できている)」と思っていました。
しかし、いつしか自分らしくない行動や思考が生まれていたことには、まったく気がついていませんでした。

つい最近の大きな内面変化により、今はとても自分らしく毎日を生きることができていると感じます。
しかし急激な変化とともに「意識のパラレル化」が起こる場面に遭遇することが増えました。

意識のパラレル化とは、今の自分が「こうしよう」と思った瞬間、「そういや以前ならこうしていたな」という“変化前”の意識が同時に脳内を駆け巡る現象です。
当然ながら、以前<今の意識のほうが優勢なので、もうひとつの意識は瞬時に却下となるのですが、これが実に面白いというか、情けないというか。

以前のあたしと本来のあたしの違い

だいたいにおいて、以前の自分(の意識)のほうは「やっぱりやめたほうがいいかも」「ここは言わないでおいたほうがいいか」と躊躇したあげく、行動しなかったり遠慮したり。
逆に今のあたしは「迷うくらいならやろう」「恐れずに言おう」と、果敢なチャレンジャー魂炸裂(笑)

どちらがあたしらしいかといえば、完全に後者のほう。
元来あたしは、考えるより先に行動したり発言したりしちゃう人でした。子供の頃から、自他ともに認める猪突猛進さが、あたしの長所でもあり欠点でもありました。

人間、いきなりの変化はものすごく「変わった!」と自覚できるものですが、長年かけてジワジワと変わったことについては、本人も気づかないものなんですね。
毎日50g増えた程度では気にならない脂肪も、1年蓄積されたら18kg。
さすがにここまで変化すれば気がつくでしょーが、内面のわずかな変化は、よほど身近な人(家族や親友など)にでも指摘されない限り、意外と自覚するのは難しいようです。

それだけではありません。
前は楽しく習慣化できていたいくつかのことも、いつしかやらなくなっていました。
やめた事由についても、ハッキリしたことはひとつもなし。無意識のうちにやる気を失っていたとしか思えません。

己がヘタレ化していたことに気づかなかったとは……ジーザス!

自分らしさが発揮できなくなる原因とは

「自分らしい」「自分らしくない」の判断基準は、自分にしかわかりません。おそらく自分らしさを100%発揮している人は、ほとんどいないのではないかと思います。
「幸せ」を基準に考えたら、(社会という集団と折り合いつけるために)自分らしさ80%あたりで着地しておいたほうが、絶対に生きやすいはず。むしろ100%自我を通そうと躍起になるほうが、無駄に敵を増やしたり過酷な生き方を強いられるような気がします。
そういう意味では、自分らしさばかりに捉われず、ストレスなく幸せに生きられる着地点を模索するほうがいいのかもしれません。

しかしあたしは作家です。
あたし自身があたしらしさ(=個性)を自ら殺してしまっては、作家としては致命傷。
作家として生きていけなくなったら、幸せも半減しちゃいます。ジーザス!

これまでずっと「自分らしく生きている」と思い込んでいましたが、どうやらここ数年「らしくない」割合が次第に増えていたようです。まーそれでも50%程度は自分らしくやってたと思いますが。
ここ数年、仕事で伸び悩んでいたのも、自分らしさ比率のDOWNが影響していたのでしょう。

そのように変化した原因については、ひとつだけ思い当たるフシがあります。

3年前、長らく家族がいた生活からいきなり独りぼっちになったあのとき。
おそらくあたしは深く傷つき、これまで築いた自信を失ってしまったのでしょう。
その後ハッピーなことはたくさんあったし、少しずつ自信も取り戻してきたけれど、心の奥ではまだ癒えない傷が残っていたのかもしれません。

あたしのモット-は「しない後悔よりする後悔」。
だから「やらなきゃよかった」後悔の数は、普通の人の数百倍はあると思います。

しかし、ここ数年は「やっておけばよかった」後悔が生じるようになっていました。
慎重といえばきこえはいいですが、そんな意気地なしは、まったくもってあたしらしくありません。
失った自信は、あたしから「行動」や「冒険」や「挑戦」を少しずつしぼませてしまったのです。

自分らしさはいつでも取り戻せる

内面が変化して、見える世界が変わり、あたしは「あたしらしさ」を完全に取り戻しました。
もちろん大人ですから、やみくもに自我を通すような「子供じみた自分らしさ」を発揮しようとは思いません。

今は、昔の日記を読み返しながら、少しずつ「いい習慣」になっていたことを再びチャレンジしたり、時折パラレル化する「以前のあたし」思考を「いいから黙っとけ」「大丈夫、悪いようにはならないから」となだめたりしています。

自信とは、自分を信じること。
自分を信じていなければ、自分らしく振る舞えなくなります。
そして、自分らしく振る舞えなくなれば、物事が思うように進まなくなるのも当然といえば当然。
信念もって物事に取り組んでいないのですから。

漠然とですが、心の奥にほんのり残っていた傷(と思われるもの)は、今回の変化で昇華したように思えます。
自分の中の「ちっさい自分」(たぶん10センチくらいのオッサンが入ってる。肉体はモビルスーツのようなもの)に対し「がんばったね。もう大丈夫だよ」と伝え、あたしは再び冒険の旅に向かう“勇者”になれそうです。

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