慣習の裏に隠された、母の性質。

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生まれ育った家では、スリッパを履くのが慣習となっていた。
畳の和室へあがるとき以外、カーペットの応接間までもスリッパを履くことが基本だった。もちろん客人にも玄関でスリッパを提供する。

親の習慣というものは、何の疑問も持たず子供へと受け継がれていく。
朝から晩までBGV的にテレビを点けっぱなしにすることとか、おかずを必ず人数分皿に取り分けて食卓に並べることとか。スリッパを履くこともそうだ。

上に挙げた生家での慣習が「どこの家でもそうとは限らない」と知ったのは、大人になってから。
いろんな男と暮らしてきた中、相手に「なんでそれをやるの?」と指摘されるたび、染みついた習慣が「ウチだけの常識」だったと気づくのだ。

人間、楽なほうへ流されるのはたやすい。
自身のこだわりではないせいか、やめてみて「こっちのほうがラク」だと知れば、実家から引き継がれたはずの習慣もあっけなく「やらなくていい」ものとなる。
今ではもう、テレビ以外「あたしの習慣」には残っていない。

実家の慣習は、両親が決めたもの

改めて考えてみると、実家の慣習は、両親のどちらかが好んで決めたルールだったと思われる。

テレビは、両親とも「音がない部屋を好まない」から。実家では今でもテレビが常に点いているし、テレビのない事務所やキッチンに居るときは、ラジオが点けっぱなしになっている。誰も居ない部屋ではさすがに消しているので、それらの音で家族それぞれがどこの部屋に居るかわかる(笑)
皿の取り分けは、工場を経営していた時代に住み込みの従業員が何名かいて「食事時間がずれてもおかずが確保される」よう、母とお手伝いさんが配慮していたことの名残り。だから実家には、今でも膨大な数の食器(主に小皿)がある。割れない限り捨てないのは、親世代だからこそ。
しかしスリッパだけは、履く理由がつい最近までわかっていなかった。5歳まで住んでいた前の家ではスリッパを履いていなかったあたり、今の実家に引っ越してからの慣習なのだが、その理由は謎に包まれていた。

スリッパをやめてみて、わかったこと

昨年まであたしは、両親同様「スリッパを履く」ことが習慣となっていた。歴代の同居人からも特に指摘されなかったので、これまでずっと「部屋の住人+客人」用にスリッパを買いそろえていた。

今の彼氏はスリッパを履く習慣がない。そういえば彼氏の家にスリッパはなかったし、ウチに初めて招待したときも、用意しておいたスリッパを履かなかった。彼専用にと、わざわざ買っておいたのに(笑)

しばらくは、あたしだけがスリッパを履いていた。冬場のフローリングは足先が冷えるため、実際に履いていたのはブーツ型のモフモフな室内履きだ。
「寒くないの?」と何度もあたしは訊いた。でも用意したモフモフのスリッパを、彼氏が履くことはなかった。

春先になり、ブーツの室内履きからスリッパに替えるタイミングで、あたしは試しに「スリッパを履かない」生活に切り替えてみた。
すると、新しい発見があった。

ひとつは、フローリングからラグに移るタイミングでつまずかなくなったこと。
それまでラグの手前でスリッパを脱いでいたのだが、よくキッチンからモノを運ぶときにつまずき、ヒヤリとしたのだ。
(実際に飲み物をこぼしてしまったこともある)

もうひとつは、フローリングの汚れに敏感になったこと。
裸足で歩くと細かなゴミや水滴がすごく気になる。スリッパを履いていたときはあまり気にならなかったので、掃除も1週間に1回というズボラさだったが、今は時間の許す限り毎日クイックルワイパーをかけ、週に2回は掃除機をかけている。

流しや洗面台の前は「都度拭くほうが衛生的」とマットを敷かないポリシーだったのだが、裸足で生活するようになると、水滴の飛び散りがすごく気になってしまう。
1日に5回も6回も床を拭く面倒より「替えを用意して頻繁に洗濯」のほうがラクな気がしてきたので、マットを敷くのも時間の問題になってきた(笑)
(思い返せば、この「マットを敷かない」習慣も、実家から引き継がれたものだ)

あたしだけがスリッパを履いていた頃は、今よりずっとフローリングがザラついていたに違いない。
流しの前の水滴も、足裏センサーは敏感だ。これまでは、エディが水滴を踏んで足跡を広げてしまったときくらいしか、気づいて拭くことはなかった。

そんな汚れた床でも、彼氏はあたしに文句ひとつ言わなかった。
むしろ気になるところがあれば自ら拭いたり、ラグならコロコロをかけてくれる。
何も指摘しなかったのは、果たして彼の優しさなのか。あるいは(あたしほど)神経質じゃないのか。

スリッパに隠された、母の意外な性質

スリッパを履くのをやめてみて、ようやく実家での「スリッパを履く」慣習に隠された事情が見えてきた。
実家の床は、あまりキレイじゃないのだ。記憶をさかのぼっても母はマメに床掃除をする人ではなかったし、高齢となった今では、さらに掃除の頻度は少なくなっている。

今の実家に引っ越した当初、母は「広すぎて掃除が面倒」とあたしにこぼしていた。だからあたしが子供の頃は、よくキッチンの床拭きをやらされていた。
母親は、わりと内弁慶で活動的な人ではない。好きな趣味に関わることや買い物以外は外出もせず、家で料理の本や新聞やテレビを見て過ごしている。

自己主張が少ないと、家族からは「黙って何でもやる」ように映ってしまう。だが本当は「やりたくないことは絶対やらない」ワガママさ(意固地さ?)を内包している。
そのことはたぶん、他の家族は認識していないだろう。あたしだって最近ようやく気づいたことだ。

どんなにヒマを持て余していても、自分で決めた間隔よりマメに掃除をしなかった母。
子供に早くから自立心を芽生えさせ、さりげなく家事を分担させていた母。
(今は、料理以外の家事の多くを父親がやっている)

そういえば、ウチは姉もあたしも「やりたくないことは絶対にやらない」傾向がある。姉は母と似て内弁慶だから、あまりその意固地さは目立たないが、あたしは何でも主張するほうなので、昔は家族から「ワガママだ」と指摘されることが多々あった。

なんだ、そのルーツは母親だったのか。
血は争えないな……w

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