「40歳過ぎたら、男は自分の顔に責任がある」(Every man over forty is responsible for his face.)とは、元アメリカ大統領・リンカーンの名言。
でもこれって男に限ったことじゃないですよね。女も同様。ただし女性の場合、美容整形など「お直し」に対するハードルが(男性よりは)低いぶん、ある程度偽ることも可能ですが(笑)
ブスのほうが幸せになれる!?
容姿が整っている人は、それだけで人生数百倍は得をしているとあたしは思います。しかし恋愛というフィールドに限っては、妙に浮いた話が生じやすいぶん、痛い目に遭う確率も高くなる気がします。
美人ほど離婚回数が多かったりする一方、中の下クラスの微妙な顔立ち(!)の女ほど早婚でさっさと幸せな家族を築いていたりするのは、ひとえに生まれ持った顔立ちに対する自身のスタンスの違いではないかと。
自分をブスだと思っている女性ほど、容姿で勝負できないぶん、他の技量を磨きます。そして「私みたいなブスを好きになってくれるだけで嬉しい」という、謙虚な姿勢も持ち合わせています。
結果、男性を選り好みすることなく初カレとそのまま結婚し、むしろ美人より幸せに暮らしているような。
同じブスでも、上記のようなハッピーライフにならない人もいます。謙虚になるどころか「私なんて誰からも愛されない」と卑屈になってしまっている人は、その通りの人生を引き寄せてしまうのでしょう。
それらのことから、恋愛市場においては「顔」より「性格(器量)の美しさ」のほうが重要ではないかと、あたしは思います。
美人が薄幸になってしまうのも、悪い男に騙されまくったあげく「私って男運ないんだわ」とこじらせてしまっている人が多いんですよ、きっと。
人相を作り出す要素とは
人間は、年輪を重ねるほど、その外見に“生き様”が映し出されてきます。
悪党はいかにも悪人っぽい顔に、事なかれ主義の人は締まりのない顔に、意志の強い人は眼光が鋭く、アスリートのように鍛錬しまくっている人は顔も引き締まっています。
それらはすべて、表情筋のなせるわざ。普段から貼りついている表情に合わせて、筋肉の発達具合が人相を作り出しています。
逆に表情筋の存在すらうかがえない「たるみきった顔」「無表情」なんかは、普段も怠惰な生活を送っていたり、他人とほどんど接触を持たない(から笑ったり怒ったりもしない)生活ではないかと想像してしまいます。
職業や生活習慣(が作り出す表情)は、特有の筋肉やシワに表れます。自己愛(ケアのレベル)は、肌の美しさに出ます。大人になるにつれ、顔の造作そのものよりも、それらが顔の良し悪しを左右する要素になっていくのです。リンカーンが言いたかったのは、そういうことなのではないかと。
顔に対する超個人的な思い
あたしが男性を見るときも、イケ面かどうかより、表情を含めた人相で好みかどうか判断します。シンメトリーな顔だち(=裏表がない、ひねくれていない)とか、笑顔がひきつっていない(=普段からよく笑っている)とかは、特に重視しているポイント。
あたしが他人の顔を何気なくジャッジしているのと同様、あたし自身の顔も、他人からジャッジされているんですよね。
年齢より幼く見られがちなのは「中味がピュアだから」だと主張したいところですが、実態は「自分に甘くお気楽過ぎる性質」のほうが反映しているのでしょう……。
美人ではないけれど、「笑顔」と食べているとき(および酒を吞んでいるとき)の「幸せそうな顔」だけはわりと好評なので、特に不満はありません。
オモテに顔を出して活動している以上、そこそこ酷くない程度にはキープしようと心がけてますが、レベル47にもなると若作りしたところで無理が出るので、最近は「年齢より老けて見えなきゃいい」基準に下方修正(?)しました。
生まれ持った顔は整形でもしない限り変えられませんが、それでも自分なりのベストは尽くしたいので、顔ヨガとセルフ骨気は日課にしています。努力が報われているかは謎ですが。
あたしにとって大事なのは、愛する男から「かわいい」と思われること。それだけで充分。
「オモテに顔を~」なんてえらそうに言いましたが、本当のところ、他人からはどう思われたっていいんです(笑)