メルマガ『愛がなきゃ生きていけない』掲載のコラムです。
vol.20(2003.5.3配信)
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14年後の今、読み返して恥ずかしくなりました。
「孤独と戦う」自分に酔ってるよ!笑
戦うモンじゃーありません。ただ「独りであること」を受け入れるだけ。
寂しいなら「寂しい」と叫んだっていいんですよ。
「独りでも平気」なフリしていたあたり、まだまだコドモだったなーと。
ちなみにこの半年後「孤独をごまかすため、テキトーな男を常にキープ」する自分にうんざりし、犬(エディ)を飼い始めました。
そしたらホントに寂しくなくなっちゃったんですよ。
「ペットを飼うと婚期を逃す」通説がよーくわかりました(笑)
(実際は、犬を口実に出入りする男が登場したり、その2年後に事実婚をしたり、まったく男日照りにはなりませんでしたがw)
孤独を愛せなくても
あなたは孤独を愛せますか……?
「一人が好き」と言うヒトはたくさんいます。
でも、それは一人の「自由」さが好きなのであって、決して「孤独」が好きなワケではありません。
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昔、あたしは「一人の自由」を渇望していました。
いつも何かが不自由だと、漠然と日常に小さな不満を抱えていました。
それは、十代からずっと彼氏や夫といったパートナーが傍にいるのが当たり前の生活を送っていたからでした。
転職をしようと考える時、仕事をするのは自分なのだから、やりたい仕事を好きに選択すればいいのに、どうしてもパートナーの存在を無視するコトはできなくて、休日の合わない職種は避けるようにしていました。
ま、そんな職種は、彼氏よりも優先できない程度の情熱なのだから、全く後悔はしていませんが。
アフターのお稽古事や休日の友人との約束なども、彼氏と会う時間を自ら減らすような行動は、やっぱりためらいがありました。
まるで彼氏=保護者のように、先にお伺いをたてて承諾をもらう「イイコ」を演じているコトは、それほど苦には感じませんでした。
でも常に心のどこかで「彼氏がいなくてフリーだったら、こんな面倒いらないのに」と思う気持ちもありました。
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未婚の頃の恋愛は、常に「結婚がゴール」的なカンケイだったので、二人の間で約束事を決めたり、お互いを管理する「家族のようなカタチ」になることで、より親しく感じるような気持ちがありました。
それに対し、離婚して独身に戻ってからの恋愛は、大きく異なりました。
結婚を望んでいない心理があるので、まず付き合う彼氏を選択するポイントが変化し、年齢の幅や職業や既婚者などの条件を一切考えなくなりました。
ケッコンという未来を描かない同士の恋愛は、まるでルートのわからないバスに乗っているような、どこか不安定に感じるモノでした。
以前よりも自由な立場になって、あたしはすごく嬉しかったけど、同時に結婚生活の二人暮らしに慣れてしまったのが災いし、一人暮らしが寂しく感じ始めました。
そんな時期に、たまたま彼氏と別れ、あたしは本当に「独り」になりました。
会社に行けば仲間はいるし、飲みに行く友人だってたくさんいます。
だけど、孤独感を拭い去ることはできませんでした。
「自由」さえも、心から楽しむコトができなくなりました。
発作性の頭痛が発病したのも重なって、あたしは一人でいるのが怖くなりました。
「今日もしこの部屋で死んでしまったら、誰があたしを見つけてくれるのだろう?」
その時、初めてあたしの望んでいたモノは、以前の恋愛のような「管理下における自由」だと気づきました。
多少の不自由さを感じつつも、いつもどこかであたしを思い出してくれるパートナーの存在があってこそ、あたしはわずかな自由を満喫できたのです。
一人がいい、なんてウソ。
孤独なんて、あたしは望んでいなかったのです。
だけど……もう昔みたいに結婚を夢見る無邪気な「あたし」ではありません。
そんなあたしを飼い慣らすほど、フトコロの大きな男も少ないでしょう(苦笑)
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今でも時折、孤独感はあたしを苦しめます。たとえ彼氏がいても。
今はもう、誰かと常に一緒にいるコトで自分の寂しさを誤魔化すような「逃げ」をしようとは思いません。
お互い寄り添いたいと思うパートナーや、離れていても気持ちが繋がっているような、そんな大事なヒトといい関係を築いてゆくためにも、寂しさから甘えたり依存したりせず、これからもあたしは孤独と戦い続けていくのです……。
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「わかってほしい」という期待はしません。
ただ、そんなあたしもいるってコトを、理解しようという思いやりが欲しい。
……愛するヒトにだけは、ね♪