「最後の40代」を、あたしはどう生きようか。

戯言

昨日誕生日を迎え、あたしは49歳になった。

48から49になったからといって、別段変わったという感触はない。なのであたしは、半ば無理矢理「最後の40代」というテーマを自分の中に設定した。

最後の40代らしく過ごすためには、悔いのないよう「50代になったらできないこと」をできるだけやったほうがいい。だが改めて考えてみると、49にできて50にできないことなんて、ひとつもないような気がする。

これが19と20ならば、未成年と成年ほどの違いがある。
万が一後ろに手が回るような悪事を働いてしまったとしても、19なら「少女A」で済まされる。中森明菜(※)は「いくつに見えても私誰でも(中略)私は私よ関係ないわ〜」と熱唱していたが、実際はなかなかどうして無視できないのが年齢だ。
※ヒット曲「少女A」の設定は、当時の中森明菜と同じ17歳であり、決して少年少女の犯罪を歌ったものではない(笑)

では、過去「繰り上がり」の年はそれぞれどんな心境だったのか。

29と30は、自分的に「大台に乗った」意識が強くあった

29歳当時は、離婚後交際を始めた彼氏とほんのり再婚する将来を描いていた。だが30歳になる3ヵ月前に別れてしまった。

傷心したまま30代を迎えたらお先真っ暗となっただろうが、自棄酒浴びまくっていた矢先「フリーになったなら」と男友達に口説かれた。

イージーに交際を始めたあたしは、そのNEW彼氏に30歳の誕生日を豪勢に祝ってもらったおかげで、順調なスタートを切ることができた(笑)

39〜40は、事実婚状態だった元ダリンと一緒に暮らしていた

ダイエットのためにジョギングを始めたり、持病(甲状腺機能低下症)とうまく付き合うため自炊を始めるなど健康意識が高まり始めたのは、40手前という年齢を意識したからだ。

40歳のスタートは韓国にいた。海外旅行をきっかけに禁煙もした(その後3年続けたが、離婚し次の婚約者が愛煙家だった影響で43歳から再び喫煙〜一昨年よりIQOSへ移行)。

振り返ってみれば、カウントダウンの前年だけは「来年は大台だし」と意識するものの、いざ大台に乗る頃には「いよいよ」などという感覚はなかった。それはおそらく、カウントダウンの1年でココロの準備(または覚悟)をしてきたからだろう。

49から50にかけてのプランは……

これからの1年も、あたしは「40代のうちに」と思いつくままこなしつつ、「50代になったら」をプランニングしながら過ごすつもりだ。

今のところ決めているのは、ブログ(ココ)を充実させることと、健康な肉体になること。二度とリバウンドしないダイエットも命題のひとつだ(ステロイド治療が終わり持病が完治したら、あっさり戻ると日和見してるが)。

友人・たっちーこと立花岳志氏が新刊『「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる』で述べているように、あたしもブログを母艦として、もっと発信を増やそうと画策している。


第2章まで読んだ。レビューは後ほど読み終えてから。

以前(ライブドアオフィシャルブロガー時代)はブログも毎日更新していた。
連載が増え、ブログも「作家らしく」を意識するようになったら、だんだん好きなように書けなくなってしまった。
商業媒体じゃないんだし、もっと肩の力を抜いてよかったんだよね。

残り363日の40代。このブログに経緯を綴っていくのが今から楽しみだ。
あとで読み返し「あの頃は若かったなー」とニヤニヤするためにも、くだらないネタまで残していこう(笑)

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