欠点は個性といえるのか。個性で片づけていいものなのか。

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どこの媒体にも出せそうにないネタは、自身のブログに書くのが一番。
まーそんなものはだいたい、原稿料をもらえるほどでもない戯言なんですが(笑)

世の中にはいろんな人がいます。
真面目な人もいれば、ふざけた人もいるし、面白い人もいれば、つまらない人(あくまで主観)もいます。
それこそが個性であり、たとえややこしい性格だとしても、その人らしく生きているのであれば「直したほうがいい」などとアドバイスするのはお節介というもの。
もちろんその人自身が「直したい」と望むならば、しかるべくカウンセリングやコーチングなど受けるのもひとつの方法です。

欠点と呼ばれるものには、直すほどじゃないちょっとした癖レベルのものから「マジ敵作るからやめたほうがいいよ」と助言したくなるものまであります。
若いうちならば「気をつけたほうがいいよ」などとアドバイスしてくれる機会にも恵まれます。周りが年長者ばかりのうちに「そっか、直したほうがいいのか」と是正できれば、その後の人生はもっと生きやすくなることでしょう。

問題は、それらの助言を無視してしまった、あるいは助言さえしてもらえる機会がないまま大人になってしまった場合。

ある程度大人になると「この人はこういう人だから」で片づけられてしまうようになります。たとえ万人から嫌われてしまうほどの欠点だとしても、よほど親しい間柄でもなければ注意や助言をすることはありません。
「触らぬ神に祟りなし」大人は“厄介な人”認定をした相手からは、そっとフェイドアウトします。お節介なアドバイスをして逆ギレされたり、助言したところで「私のこと嫌いなのね」と曲解されても面倒だからです。

具体例は挙げませんが、あたしもそういう人に遭遇したときは、静かにフェイドアウトする手法を選びます。
親友や恋人や家族といった「ずっと仲良くしていたい関係」の相手だとしても、あたし個人が不快な思いをさせられない限り、その人のパーソナルな性質については(それが明らかな欠点であろうと)あえて指摘はしません。

いい大人になってもむやみに敵が多いとか、トラブルばかり見舞われる人は、おそらく何らかの致命的な欠点があるはずです。
「自分は嫌われたって別にかまわない」のであれば、それは“生きにくいほどの強烈な個性”ということで片づけてもいいとあたしは思います。
しかし「どうして自分ばかりひどい目に遭うの」と被害者ぶっているならば、原因を突き止めるまで内観し、改善を試みるしかありません。
一度や二度ばかりでないのなら、原因は必ず自分の側にあるはずです。誰かのせいにしているうちは問題解決とならず、今後もトラブルに見舞われるかもしれません。

その手の「困ったちゃん」な大人に遭遇しても、前述の通りあたしは指摘するなんてお節介はしません。きっと他の大人たちも、大半は同じ対応でしょう。
そんなとき、あたしは少しだけ意地悪な視線を向けてしまいます。
「ああきっとこの人は、若い時分から助言をくれるほど親しくつき合った人がいなかったんだろうな」と。

すでに大人になってしまった我々は、何でも話せる恵まれたパートナーの存在でもなければ、今後も親切な助言を得る機会はないと思います。
だからこそ、誰かとトラブルになってしまったときは、自分を見つめ直す機会として粛々と受け止めなければいけませんね。

私見ですが「悪い人じゃないんだけどねぇ……」と第三者から評される人ほど、上記の困ったちゃんだったりするなーと。
逆に「アイツいい性格してるよな、ったく」などとdisられる人は、同じ困ったちゃんでも憎めないレベルだったり、愛されキャラだったりしますよね。

つまるところ、根っこの性格がよければ、およその欠点は「個性」で済まされるんですよ。
じゃー嫌われキャラは性根が腐ってるのかといえば、そこはケースバイケースなんですが(笑)

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