【日々の戯言】男社会に毒されていた頃には気づかなかったこと。

掲載報告

戯言エッセイを【note】にアップしました。

エッセイはこちら。

サラリーマンを辞めて独立したのは、33歳の頃。今(2020年)から18年も前です。
その後もエンジニアとしてはオフィス常駐していましたが、やはり会社に属するのと業務委託で関わるのとでは、環境への「染まり具合」は異なりますね。中にいるのと外から見るのの違いというか。

私が経験した業界(内装系、自動車メーカー、流通系、広告代理店、IT系)も、ほとんどが男社会でした。
広告代理店とIT系は比較的リベラルでしたが、それでも上司や幹部はほぼ男性。時代的にも今から20年前となれば、社会そのものが男性中心(一見女性を持ち上げている風が、実態は低く見ている)でした。

そこで働く自分が男性と同等に扱われていないことを不本意に思っても、対抗するより迎合してしまうほうが楽だったし、しまいには感覚すら麻痺して、同じように男目線でモノを見るようになっていたような気がします。当時はね。

作家になって、いわゆる男社会的なところとは関わらない環境で仕事をするようになったせいか、フェミニズム的なことを多少勉強したせいか、以前とはモノの見え方が変わってきました。

私自身は、今も男性とは敵対せず張り合おうとも思いません。男ならではの偏った見方(考え方)や、それが全体に及んだ場合の影響についても「まー男が考えそうなことだな」と一歩引いて捉えるだけ。

今回あえて引っかかったセリフを取り上げたのは、その「引っかかった」自分に感心したから(笑)

以前の私は「やれる」みたいな言葉が女性蔑視(しかも男性的には無自覚)であることに、気づいてなかったんですよ。オフィスでのセクハラや、ホステス時代の接客など、女としてバカにされるような言葉を吐かれる場面が茶飯事だったせいか、他人事のようにスルーする癖がついてたんですよね。自分も女なのに。

「若い頃は、ずいぶんとひどいことを言われまくったよなー」と、昔の自分を慰めたくなります。
だけど、暖簾に腕押しで傷つきもせずスルーできていた当時の自分は、褒めてやりたいです。笑

タイトルとURLをコピーしました