【戯言】落ち着きのなさと集中しすぎに翻弄される人生

戯言

常にどこかしら不定愁訴を抱えるあたしは、毎月内科に通院している。

これまでもそうだったが、通院のときは何かと待ち時間が生じる。
これをロスタイムとするか有効活用するかは、その日のエネルギー具合と気分による。
エネルギー高めなときは、待ち時間を執筆に充てている。エネルギーが低いときはSNSを眺めて時間を潰し、平常レベルのときは読書をする。

ADHD気味なあたしは、常に何かやっていないと落ち着かない。しかし困るのは、その集中具合が高すぎること。
SNSをROMるくらいならば問題ないが、コメントしたり投稿したりすると、途端に意識がスマホへと集中してしまう。
執筆もしかり、読書もしかり。待合室で集合すると、名前を呼ばれたことさえ気づかない。

外ではこんなに集中しやすいくせに、自宅だと集中モードになかなか入れないのは七不思議のひとつだ。
PCを立ち上げればネットニュースに見入ってしまい、集中のためにBGMをとiTunesを立ち上げれば、選曲するうちに30分とか経ってしまったりする。

集中の反対は散漫だが、あたしの場合は転換がもっとも集中を妨げる。
Aをしようと立ち上がった瞬間、目についたBを始めてしまい、Bが終わらないうちに、ふと閃いたCを書こうとblogを開いてしまう。
一通り下書きしたところで「さて一休みでも」とキッチンへ移動し「しまった牛乳切らしてた」とスーパーへ出かけてしまう。帰宅したところで「そういや原稿はどうした」と慌ててPCに戻った頃には、恐ろしく時間が経過している。

上司も同僚もいない自宅仕事は、サボっても脱線しても注意してくれる人はいない。すべての時間を自由に使える代わりに、己を律しなければ、簡単に仕事から離れてしまう。
十年以上やっていても、気分が乗らないときのコントロールは難しい。むしろ十年以上もやってきたせいか、緊張感はないに等しい。

もちろん自宅でも過集中する日はある。そんな日は一気に原稿が進み、反動でいろんなことを忘れてしまう。
メールチェックを忘れ、洗濯物を干すのを忘れ、レンジに温めた飲み物を放置し、犬がオシッコしたことすら気づかない。チャイムの音すら聞こえず、自宅にいたのに不在票が入っていたこともある。

集中も落ち着きのなさも3割程度薄められればいいのだが、もはやこの歳まで変わらなければ、諦めの境地だ。
集中力を高める方法に関するライフハックはあるが、適度に集中力を落とす方法は聞いたことがない。振る舞いを落ち着かせる方法も。

とはいえ悪いことばかりではない。気が散りがちな一面は、五月雨式とはいえ休まず多くのタスクの進捗を進め、過集中は作業のスピードを倍速させる。

もっぱらの課題は、ひとつのことを終わらせないうちに次へと意識も行動も移ってしまうこと。すべてが進もうと、何ひとつ終わらせていなければ、中途半端な状態のモノが増えるだけになってしまう。

このblogにも、下書きのまま半端に書き留めた記事が10本近く溜まっている。ひとつでも書き終えてアップしようと手をつけたのが、まさにこの記事だ。下書きからすでに半年も経過していた(笑)

blogに限らず「半端なまま放置している事柄」をひとつでも多く完成(完了)させることは、あたしの命題だ。
断捨離途中で置きっぱなしの段ボール箱、書きかけのメルマガ、整理していない領収書、積読な本、ローカルでリニューアル途中のTOPページ、枯れた前の植物を抜いたまま土だけ残しているプランター……。

「そのうちやろう」に手をつけるのは、だいたい「やる気スイッチ」が入ったとき。スケジューリングしたほうがいいのかもしれないが、いくらやる日を設定しても、やる気がついてこなければ重い腰は上がらない。日々「そのうちやろう」タスクは生じ、ますますやり残しが積み上がっていく。

せめて人生が終わる日くらいは、やるにしてもやらないにしても、すべての事柄をスッキリさせて、やり残しなく旅立ちたいものだ。変に残してしまったら、成仏できないかもしれない。

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