メルマガ『愛がなきゃ生きていけない』掲載のコラムです。
vol.39(2003.9.23配信)
現在も配信中!(無料)
下記のコラムを書いてから17年。
その後も呆れるほど、女としてのターニングポイントに遭遇しました。
誰かと再婚し、平和な日常を送っていれば、なかったはずの「オンナの選択」。
あいにくと17年の間も紆余曲折ありすぎたおかげで、鍛えられました。
まー半分は、己の「飛んで火にいる夏の虫」アクションがもたらした災いですが。
……無駄に行動力があるのも、考えモノです。笑
オンナの選択
30数年生きている間、あたしはいくつもの選択をしてきました。
受験する学校の選択、職業の選択、恋愛相手の選択……。
いつも思うのは、選択肢の数だけ自分は自由なポジションにいる、というコト。
何か制約があったり不自由な立場にいたら、その分選択肢は狭められてしまいます。
今の自分を築き上げたのは、数々のターニングポイントの結果でもあります。
もしもあの時、違う道に進んでいたら……?
もしもあの時、違うオトコを選んでいたら……?
「たられば」話はあまり好きではありません。
だけど、時折そんな風に、人生という壮大なチャート図の「選ばなかった道筋」を想像してしまうコトもあります。
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人生のポイントで選択を迫られるのは、何も女性に限ったコトではありません。
だけどオトコの方が、何かを選ばなくてはならない場面は少ない気がします。
働くか働かないかというテーマや、子供を産むか産まないかというテーマは、あまりオトコには当てはまりません(これも最近は変わりつつありますが)。
オトコの選択には、決して自由に選べるという意味合いではないのが特徴でしょう。
それは、社会性を重んじ世間体も無視できない、悲しい生き物だから。
恋愛におけるオトコの選択肢は、よりベストなモノを選ぶというよりも、責任感や周囲を丸く収めるための自己犠牲という「ネガティブな要素」を感じる場面が多いような気がします。
例えば、AくんはBちゃんという彼女がいました。だけどつい、Cちゃんと浮気をしてしまいました。
そしてCちゃんは妊娠。Aくんにそれを告げました。
Aくんは、それがきっかけでBちゃんとお別れし、Cちゃんとケッコンしました。
果たして、その選択がネガティブな考えの元に決意したことなのかは、当人同士しかわかりません。
Bちゃんは傷つき、Aくんを罵る、または愚かなAくんを哀れむかもしれません。
Cちゃんは「してやったり」かもしれません。
でもそれは、選ばれた側の考え。
決意したAくんの気持ちは……?
Bちゃんとはマンネリだったかもしれない。
うっかりとはいえ、興味を持って接したCちゃんと「きっかけ」が生じたのは、Aくんにとっては「渡りに船」だったかもしれない。
だけどオトコというものは、たいがい優柔普段なモノ(苦笑)
妊娠さえなければ、まだまだどちらも選べなかったであろうAくんに「責任」という重しが乗っかってしまったら?
浮気のドキドキを楽しんでいた気分は、一気に冷めてしまったかもしれない。
マンネリ化していたはずのBちゃんを選ばなかったコトで「逃した魚は……」と気持ちが再燃してしまうかもしれない。
極論ですが、こんな事態になるまで、オトコは「選べない」生き物のような気がします。
もしかしたら、選べないのではなく「選ばないでいられる状態」こそが、オトコにとっては快適なのかもしれません。
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それに対し、女はいつでも潔く決意できる生き物ではないかしら?
さっきの例で言えば、Cちゃんには選択肢がありました。
Aくんの子供を産む自由。産まない自由。
もっとリベラルな発想ならば、産む選択とAくんとの結婚も、別の選択肢として考えるコトだってできるのです。
もしAくんが不本意にCちゃんを選んだのだとすれば、Bちゃんにだって、選択肢を得るコトが可能です。
過ちを許す懐と、それでもAくんと別れたくないほどの強い愛情があれば、Cちゃんに違うカタチで責任を取るようにAくんを仕向け、自分の元に戻るよう操縦するコトだって不可能ではありません。
誰かを選び、その決意を貫ける強いオンナなら、そのくらいしたたかにだってなれるのです。
子供を持つコトと結婚は、なかなか切り離せない問題。
女の人生にとってそれは大きく影響するからこそ、オンナは選ぶ潔さと能力を持ち合わせているのかもしれません。
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何かを選ぶために、何かを切り捨てる必要が生じるコトもあります。
ろくでもないオトコに見切りをつけ、有望なオトコの元へ。
愛情が育まれない家庭に離婚を決意し、次のステージへ。
お別れという意味の選択も、オンナにとってはポジティブなのです。
そういえば、私の最初の結婚は、どうやって選択したんだっけ……?
もう10年以上も昔のコトなので、ちょっと思い出せません(苦笑)
ただ覚えているのは、迷ったり悩んだりはしなかった、ということ。
「このヒトとは、結婚生活が想像できるなぁ」
漠然とそう感じたコトだけは覚えています。
その結婚生活は、残念ながら破綻してしまったけれど、あのダンナさんを選んだコトは、今でも間違いではなかったと思います。
それは、あの時間があたしにたくさんのコトを教えてくれたから。
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「もしもあの時……」はありえません。
その選択が失敗でも、そこから何かを学び、想い出は胸にちゃんと残る。
だから、今の「あたし」がいるのです。
そんな、自分への自信が内側から生まれてきたのは、つい最近。
あたしは、まだまだこれからターニングポイントに遭遇するでしょう。
「その時」は、不安ではなく楽しみとしてあたしのアタマの片隅に存在しつつ、あたしは明日へと1歩ずつ進んでいるのです……。