失ったからわかる、日常の中にある幸せ。

戯言

あたしは現在、彼氏とほぼ一緒に暮らしている。
互いの意思を確かめてから同棲をはじめたのではなく、週末同棲から徐々に平日の泊まる日が増えていき、気がつけば「ウチに帰ってくるのがデフォルト」な状態になったのが今。ある意味「お試し期間」的な感じでもある。

彼の家ではなく自分の家なのは、単に彼のフットワークが軽いからに他ならない。以前はあたしが彼の家に出向いていたのだが、犬を運ぶ面倒や仕事環境の都合やあたしが電車移動を好まないというワガママにより、今は車を所有する彼の行動力に甘えてしまっている。

よく言えば自然の成り行き。悪く言えばなし崩し的。
カレンダーを確認してみたら、2月以来、3日以上会わずに過ごしたことがない。つまりここ半年間、ほぼほぼどちらかの家で一緒に朝を迎えていたことになる。

あたしにとって、恋人との距離感は2種類ある。
ひとつは、週末もしくは会える日を設定し、外でデートするだけの非日常な関係。
もうひとつは、毎日一緒に過ごすほうがデフォルトとなる、日常的な関係。

この違いは、ひとえに相手との「心の距離」感だ。お互い「恥ずかしい自分」までさらけ出せるのは、心を許せるほど親しい間柄になった証拠でもある。
過去、前者のようなつき合いをした相手とは1年以上続いたためしがないが、後者になる相手とは長続きする。やはり日常の中に溶け込むような関係でなければ疲れるし、一緒にいるのが自然な相手とは相性がいいのだろう。

ふたりの温かさを知っているからこそ、ひとりが寂しくなる

人間というものは、経験したことのない事柄については想像力が及ばないが、経験したことについては、いくら忘れようと思っても記憶の中に刻まれてしまう。
同棲も結婚もしたことがなければ、おそらく「ひとりの寂しさ」も慣れてしまうのだろう。だが一度でも生まれ育った家族以外の誰かと暮らすことを覚えてしまうと、いざひとりになったとき、孤独感がクローズアップされてしまう。
アラフォー以上になってからの結婚が初婚より再婚のほうが多くなるのも、単なる人数比というより、離婚経験者が抱く「もう一度誰かと一緒に生きていきたい」という願望の結果ではないだろうか。

例にもれず、あたしも独りの気楽さより寂しさが勝ってしまうタイプだ。
もう独りの自由は満喫し尽くした。そもそも誰と一緒に暮らそうとあたしはいつでも自由に生きているから、パートナーができることは何の足かせにもならない。

そりゃ厳密には「ふたり暮らしのわずらわしさ」もないわけではない。洗濯物を1週間も溜めてはおけないし、基本寝る時間と起きる時間は合わせるようになるし、相手に食べてもらうことを考えたら、料理も栄養面や味や見映えなど意識することが増えたりする。
だけどさまざまな面倒を差し引いても、ひとりよりふたりで暮らすほうが楽しい。一緒にいる時間が増えれば、いろんな場面で「好き」を伝えることができる。

生活リズムを合わせたり、苦手な料理をがんばってみるのも、すべては愛の力。仕事がテンパってしまう時期はサボらせてもらうが、それ以外の日は、家事そのものも「彼が快適に暮らせるためのケア」だと思うと面倒ではなくなる。
自分を愛する意味で丁寧に暮らすことも大事だが、そこに「愛する誰かのため」という要素がプラスされると、日々の家事は楽しいものに変わる。モチベーションというものは、その意味や役割や使命感がプラスされると簡単にアップするものだ。

独りになったからわかる、ふたりでいることの幸せ

アイキャッチの写真は、昨日作った晩ご飯。
それなりに美味しいものを作れるのは「COOKPAD」という便利な先生のおかげ。ありがたやw

昨年までのシングルライフ期間(約2年半)は過去最長だったこともあり、いつにも増して「ひとりの寂しさ」を味わった。さすがに1年過ぎたら慣れてはきたが、「誰にも見られない暮らし」が長引いたせいか、起きてから昼まで顔すら洗わなかったり、半裸で過ごしたり、皿にすら移さずタッパーから直接惣菜を食べたりと、およそ女子としてはダメなレベルの自堕落が生じるようになっていた。

女ヤモメ生活は、とてもじゃないが男に見せられるモンじゃない。アレに慣れてしまったら、もう男とは暮らせない(笑)
男と暮らそうといつもキチンとしているワケではないが、やはり愛する男の前では「かわいいレベルのだらしなさ」以下になったらおしまいだ。女に生まれた以上、女を捨てる人生を選びたくはない。

そして現在、楽しいふたり暮らしに突入しつつあるあたしは、これまで感じたことのないほどの至福感に包まれている。

ふたりで暮らしたら当たり前となる「ふたりでおうちごはん」、彼の腕枕で体温を感じながら眠る瞬間、起きたら隣に彼がいる安心感、いってきますとおかえりのキス、「ねぇねぇ聞いて」な会話ができる相手がそばにいること、愛する人の服を洗濯したりごはんを作ったりする時間……そんな何気ない日常のすべてが、うれしくてたまらない。

これまでもひとりで暮らしたことは何度もあった。だけどシングルライフに慣れないうちに再び「ふたり」単位になっていたから、それらの当たり前が「ふたりだからこそのかけがえのない日常」だと自覚していなかった。

ふたりで暮らすことに慣れていた頃「当たり前」だったことは、ひとりになってからすべて失われた。
「ひとりの寂しさ」は、イレギュラーなうちはあまり感じない。望んでもすぐには叶えられないほど長くひとりの時間を過ごしたことで、ようやくあたしは「ふたりで暮らす日常」がどれほど幸せか、実感したのだ。

今はただ、この幸せがずっと続くことを願っている。
そして宝物のような日常に寄り添ってくれる、彼に感謝している。

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