【愛生きバックナンバー】恋愛至上主義

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メルマガ『愛がなきゃ生きていけない』掲載のコラムです。
vol.41(2003.10.6配信)

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34歳(当時)の私は「好きな男に愛されること」そのものが承認欲求だったんですね……。
幼すぎる。アラサーでそれは恥ずかしいぞ、自分。

「愛すること=許すこと」の境地を見出していたのは評価しますが、相手への依存が激しいです。
我ながら、よくもまーそんな恋愛観を堂々と主張してたな、自分。
それが一定数の読者に支持されてたというのもすごいw

恋愛至上主義

日常生活を送る上で、恋愛の占める比重は決して多くはないけれど、あたしにとってそれは、なくてはならないモノ。

彼氏がいるいない、というコトじゃなくって。
好きなヒトを思う気持ちと、恋愛から生まれるエネルギー。

「彼に認められたいから、がんばろう」

仕事でここ一番のがんばりを出す時はいつも、そう自分に言い聞かせています。
そう思うのは、甘えてるかな……?

初めて彼氏ができた中学生の時代から、ずっと好きなヒトに認められるコトこそが「存在する意味」だと思ってきたあたしには、今更発想を転換するのは難しいと思います。

もちろん世間には、大衆に認められるコトを存在価値としたり、もっとパーソナルに自己完結するヒトなど、いろんな考えがあります。
あたしもそう捉えられればいいのに……と思うコトもしばしば。

愛する誰かに、存在意義を限定してしまうコトの辛さ。
それは、相手とうまくいかなくなった時に大きく影響します。

「嫌われてしまう=存在する意味がない」
そこまで極端には思い詰めなくても、大事な支えがなくなるというコトは、自分の身の置き所、しいては日常今までがんばれた全てのエネルギー源をどこに移動させればいいのか、わからなくなってしまうのです。

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これは「依存」なのでしょうか?
自分ではそうは思いません。
受け取る側のオトコによって、解釈が異なる気がします。

包容力のあるオトコならば、たいした負担には思わないかもしれないし。
度量の小さなオトコだと、そんなコトも重たく思えるかもしれないし。

あたし的には、心の支えにするくらい当然だと思うのですが。
だってそれこそが、愛し愛され一緒に生きていく、という喜びでしょう?
それを否定されたら、あたしは恋愛に意味が見出せなくなってしまいそう。

彼に愛されるコトは、イコールあたしという人間を認められるコト。

会話で、あたしの思想を理解してもらう。
抱かれて、あたしのカラダをオンナとして認めてもらう。

もちろん、自分で自分を認めているのは大前提です。

そしてこんなあたしが、世間でもし認められないとしても、愛する彼にさえ認めてもらえれば、それであたしは安心できるのです。
もちろん、満足というレベルにまで到達するには「世間」での認知も必須だけどね。

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相思相愛。

それは誰もが容易に叶うワケじゃないから、恋愛の悩みは尽きないし、「恋愛」と名のつくモノは需要が無くなりません。
(このメルマガも含め・笑)

あたしだけじゃない。
みんな、愛されたいんだよね。
もちろん、大好きな彼に。

だけどあたしのそれは、比重は小さくても至上の事柄。
愛するオトコに愛されるほど幸せなコトを、あたしは他に思いつきません。
どんなに仕事で功績を上げても、たくさん稼いで金持ちになっても、
愛するオトコに愛されるのに比べたら、どれもたいしたコトではないような気がします。

それでも、今のあたしには強い自我も生まれています。

前述で依存心を否定したのは、仕事その他「自分が築いてきた大事なモノたち」を、愛する彼に反対されたり否定されたとしても、彼のために変えるかどうかは別問題だから。

もちろんそこにはっきりとした理由があり、その意見によって改めて考え、自分が失ってもいいと心から納得できるなら、
どんな大事なモノも失う覚悟はあります。
「彼のために」という流された意思ではなく、あくまで自分で決めること。

それが、コドモだった頃の依存と、オトナになった今の違いではないかと。

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愛される=欠点を含めて認められる存在になる、というコトは、そのヒトのパワーとなり、大きな自信に繋がります。

逆に、切ない恋愛は自信を喪失します。
いくら個々の事柄が相手に認められたとしても。

だって愛されるというコトは、全ての「あたし」に対する肯定だから。
愛されていないというコトは「あたし」が認められていない状態だから。

だからあたしは、愛するオトコのパワーの源でいられるよう、遠くで、近くで、ずっと応援していたいと思っています。

「あなた」を全て許容し認めるのが、あたしの愛情表現。
愛されたいと望むなら、まずは自分から愛情を惜しみなく与える。

例え愛されていなくても。
報われない気持ちに葛藤する夜があるとしても。
ひりひりとした痛みを伴っていても。

そして、いつか思いが通じ、愛され認められるコトを強く願うのです。
そんな静かな情熱もまた、あたしの原動力なのです……。

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