メルマガ『愛がなきゃ生きていけない』掲載のコラムです。
vol.42(2003.10.12配信)
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前の号で気になった、当時のあたしの依存体質。
さっそく翌週で「依存」をテーマに取り上げたのは、読者さんからご指摘メールをいただいたからです。
しかし下記のコラムを読む限り、当時の私は己の依存体質を恥と思うどころか、根拠を並べ立て「何がいけないの?」と居直っています。
「ポイントは押さえてるし、相手が迷惑じゃなきゃいいんだよ」という主張。
間違ってはいないかもしれませんが、幼稚ではありますね。
どのタイミングで心が成長したのかは不明ですが、人間、歳を重ねれば、少しずつ心も大人になるもんだな、と改めて思いました。
甘えたい日もある
あなたは好きなヒトと、どんな関係を築いていますか……?
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共に自立したオトナ同士の恋愛関係は、お互いが寄りかからず、そっと寄り添って同じ道を歩んでいくもの。
「寄りかかる」=依存
「寄り添う」=独立
言葉で表現するのは簡単だけど。
何気ないコトが、相手によっては重く捉えられる場合もあります。
逆に、もっと頼ってくれないと愛情を感じない、というオトコもいたりします。
果たしてそれは、どのへんがボーダーラインなのでしょう?
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まだ20代前半の頃、今よりもっとはっきり依存だと思えるほど、あたしは「彼氏」という存在を全面的に頼っていました。
わからないコトは、まず一番に彼に尋ねる。
困ったり迷った時は、彼の判断に従う。
夜道が怖ければ、彼に迎えに来てもらう。
寂しい時は、彼に甘える。
たぶん頼らなかったのは経済面だけ。
それすらも、失業中なんかは甘えたコトもあったし。
瓶のフタが開かなければ、彼が開けてくれるまで放っておくほど。
それがオンナの可愛さだと。
あたしにそんな発想を植え付けてしまったのは、たぶん、最初の彼とパパでしょう(苦笑)
姉が産まれてから10年ぶりに「待望の末っ子」として誕生したあたしは、それはそれは「超」がつくほど過保護な家庭で育ちました。
なんせ実家に住んでた子供時代は、たかが徒歩10分の駅までの道を、車で送り迎えしてもらうのすら当たり前に思ってたくらいですから。
そして、由緒ある家庭の子息だった最初の彼は、若いウチから女性をエスコートする術を両親に躾られていて、高校生のクセに、あたしに財布を開かせないほど甘やかしました。
(後にこの彼は、家出してから変貌しましたが・苦笑)
その後、何人かパートナーは替わっていたはずなのに。
どうやらあたしは、年上・年下関係なく「俺が守る」的なタイプのオトコばかりに惚れていたのかもしれません。
おかげで、恥ずかしいことに「オトコに依存している」というコトに対し、全く無自覚でした。
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そんな自分に気づいたのは、30代になってから。
それまで友人だったあるオトコと、関係が進展した途端、あたしは無意識に寄りかかりました。
だけど彼は、そうやってべったり甘えられるのを好まない、オトナの男性だったのです。
当たり前に思っていた行動を、喜ばれるどころか戸惑う彼を見て、あたしはどう振舞えばいいのか困惑しました。
おそらく相手にとっても、友達の頃とは変貌したあたしに対し、違和感を覚えたことでしょう。
そして生じた気まずさ。
このままでは彼に嫌われてしまう。
彼との関係を壊したくない……!
その時初めて、あたしはオトコとの接し方を見直そうと思いました。
どんなコトが依存になるかは、なんとなくわかります。
例えば、友人であれば要求しないと思われる、わがままや甘え。
だけど疑問は残ります。
……本当に、甘えちゃいけないの?
病気で困った時や、オンナならではの怖さなど、誰かに頼りたい場面でも、一人で解決するのがオトナなの?
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今は、依存はやはり精神の幼稚さだと、思えるようになりました。
だけど、どうにも弱ってしまった時や、自分一人では心細い場合、やっぱりパートナーに頼りたい、と思ってしまいます。
ただの友達とは異なる、唯一のパートナーだけに見せられる「弱さ」こそ、心を許している証拠なんじゃないかって。
全面的に頼るのではなく、ちょっとだけ知恵や力を借りる。そのくらいはいいんじゃないかって。
もちろん、一方的に甘えるつもりはありません。
オトナになったあたしは、オトコの虚勢の裏の弱さにも気づきました。
そして惚れたオトコには、その弱さも見せて欲しいと思います。
普段、オトコだというだけで強がる自尊心は尊重するけれど、あたしの前でだけは、気の休まる唯一の場所として、泣き言も愚痴も不安も、みんな解放しちゃえばいい。
そんな持ちつ持たれつの関係も、依存になってしまうのでしょうか?
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あたしがオトコに対して思うような「甘えるコトを許す」度量というのも、オトナならではのフトコロの大きさのように思えます。
どっちが正しいのか、未だその答えは出ていません。
ただひとつ。
「目の前のパートナーが許すなら、世間は関係ない」
これだけは真理ではないかしら?
そしてあたしは、世間の目よりもひたすら彼の目を信じ、
さじ加減に試行錯誤するのです……。