【戯言】明日レベル49になるわけだが

戯言

明日、あたしは49回目の誕生日を迎える。
まったくもって実感が沸かない。四十路を迎えたのはついこの間のような気がしているのに、そこからあっけなく9年だ。

9年という月日は、決して短くはない。
思い返せば、バツ2(2回目は事実婚なので戸籍上はバツイチだが)になったり、婚約したのに結婚やめたり(すでに同居していたので、気分的にはバツ3)、レベル46にして初めての婚活をしてみたり、相変わらず色恋ばかりに翻弄されてきた。

「いい歳して」と言われればそれまでだが、この女は「懲りる」という言葉が辞書にないらしい。婚活でめでたくクロージングさせた彼氏と1年の交際を経て、昨年末からは同棲生活をスタートさせた。

幸せなことも不幸(に見える)かもしれないことも、どこかの原稿でアウトプットすればお金になる。作家は実に楽しい商売だ。ネタに事欠かない辛辣(本人はそう思っちゃいないが)な半生も、おかげで昇華させることができる。

あと1年でレベル50。いいかげん大人になれよと言われる年頃だが、人生100年だと思えば、まだ折り返し地点でしかない。

乳飲み子である数年は記憶も自我もないから、前半は実質45年くらい。とっぷり成人してからの後半50年のほうが長いように思えるが、後半のラストが何年でエンディングを迎えるかは未知数だ。「あと50年もある」などと悠長なことは言ってられない。

これからの数十年もあっけなく通り過ぎ、いつしかしわくちゃのお婆さんになっているのだろう。そして今と同じく、振り返れば「ずいぶんいろいろやらかした」と苦笑いする羽目になるような気がする。
老いてゆくことは避けられないし無理に逆らおうとも思わないが、せめて可愛らしいお婆ちゃんになりたいとは思う。苦言やら説教ばかり若い世代にドヤ顔で語り、疎んじがられる老害にだけはならないようにしたい。

「せっかくこの世に生まれてきたのだから」と捉えれば、何かひとつくらい大きなことを成し遂げたほうがいいのかもしれないが、あいにく人生49年間、あたしはスケールの大きな野望を抱いたことが一度たりともない。
(野望はたくさんあるが、どれもちょっと努力すれば叶うレベルの小さなことばかり)

いつだって望むのは、自己満足レベルでいいから楽しく(できるだけ辛くなく)ハッピーな日々を過ごし、よそ様に迷惑をかけないよう心がけ(それでも迷惑はかけるだろうし、誰にも頼らず生きることは不可能だからなるべく、なるべく)、のほほんと日々を過ごせること。
悩んだり落ち込んだりせず、毎日美味しくご飯が食べられること。愛する彼氏と、いつも笑顔で寄り添いながら生きること。
そして最期に「あー楽しかった!みんなありがとう!」と叫びながらこの世を去ることができれば、あたしはこの上なくハッピーだ。

事故死とか殺されたりとかではなく、自宅か病院のベッドの上で、愛する人たちに囲まれながら旅立てるほど幸せな最期はない。
もちろんエンディングは「盆回り(※)」をリクエストする。

※かの「8時だヨ!全員集合!」でコントの終わり時、セットの回転とともに流れたBGM。
↓ このCDに収録されているらしい。

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