【日記】作家に必要なただひとつの才能は「書かずにはいられない自己顕示欲」だと思う(20191008)

戯言

楽しい野球シーズンも終わり(厳密にはまだCSファイナルステージも日本シリーズも残っているが)、いよいよ原稿を邪魔するモノがなくなりました。苦笑

雨観戦の翌日は、レインコートを干すことから始まります。


「ここにベイファンが住んでるらしい」ことがバレバレ。
まー日頃から観戦の翌日はユニフォームやら応援タオルやらを洗って干すので、ご近所の皆様はご存じだと思いますがw

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原稿に追われていると、ついついブログやメルマガといった「自主的に書いている媒体」が後回しになりがちです。
そりゃー1本○万円の原稿とは違い、自主媒体からは1円も稿料が入ってきませんから、どちらを優先するかは火を見るよりも明らか。作家は執筆でメシ食ってる身分ですからねw

文章なんて、誰でも書けること。アマチュアだって文章力のある人はいるし、プロだって文章が微妙(失礼)な方もいます。
だったらどうして「プロになれる人」となれない人がいるのでしょう。

あたし自身、プロの物書きになりたくてもがいていた十数年(ええ実は「作家になりたい!」と夢見てからプロになるまでは17年もかかっているのです)の間は「あたしのほうがうまいのに!」って思ってしまう文章にも多々遭遇しました。
でもね、プロとして十年以上活動してきた今ならわかります。
もちろん最低限の文章力(日本語使い)は必要ですが、それより大事なのは「書きたい情熱」と「書き続けられるエネルギー」があるかどうか、ではないかと。

これまで私のところに「作家になりたいんです」「ライター志望です」と言ってきた人が何名かいました。
実際に編集さんを紹介した人もいれば、企画書を預かる話(サービスで添削も)をした人もいます。

だけどその中で、無事に仕事が成立した(プロになれた)人は、今のところひとりもいません。

正確には、原稿が数本掲載されて稿料が発生した(単発では仕事になった)人はいましたが、継続して原稿を出すことはできませんでした。その後、記事の掲載実績を生かして次の仕事を取る=プロとしての活動もしていないようです。
まだ本人は作家志望らしいのですが、今はペンネームを変え過去の活動(ブログ)も消しています。なんで蓄積しないんだろう。もったいない。

企画書を添削する段取りになった人は、企画書を提出~添削して再提出するよう回答しましたが、その後、企画書をブラッシュアップして提出してくることはなく「もう少し練ってから出し直します」と言ったきり、なしのつぶて。
その後、これまでのアマチュア活動(ブログやメルマガ)すらも削除し、連絡が取れなくなりました。

きっと作家やライター志望の人は「これさえできれば、プロの物書きになれる」秘訣を知りたいことでしょう。
だけど現在「プロの視点」になったあたしが実感するのは「なるだけなら簡単。難しいのは続けること」。
ダイエットと同じです。短期決戦で一瞬は望みを叶えても、その状態を維持するためには、ずっとずっとダイエットを続けなければならないのです。
つまり作家の場合「書き続けられる」だけの情熱(自己顕示欲)が才能ではないかと。

作家(出だしは小説家でしたが)になることが憧れだった20代の自分。
憧れが目標に変わり、プロの入り口が見えてきた(業界の人から相手にされるようになった)30代。
その頃からあたしは「メルマガ」(2002年~)と「ブログ」(2003年~)を書いていました。

1円にもならないそれらの媒体を続けてこられたのは、ひとえに「書きたい」ネタを発表できる場があること、読んでくれる読者さんがいることがうれしかったからです。

「書きたい」だけなら、誰にも見られないノートに綴るだけだっていいはず。
それが「読んでほしい」欲求となり、Web上で発信できる時代となったおかげで、あたしの自己顕示欲はいいカタチで循環し、ありたがいことにプロの作家としてゴハン食べていける身分となりました。

それから13年。今も続けてこられたのは、やはり「書きたい」「読んでほしい」自己顕示欲の賜物。

もちろんプロになると、自分が書きたいネタばかりでなく、読者が読みたいものを書くほうが中心になりますが、それでも「書きたくないもの」を書いているわけではないので、楽しいです。
たまに「こういうことを書きたいのに、うまい表現が浮かばない」ジレンマで胃が痛くなることはありますが、そんなときこそブログ(書きたいもの)に現実逃避してスッキリしてます。あるいはSNSにしょーもない戯言をつぶやいて発散します。結局、常に何か書いているワケですw

プロの作家やライターになりたい人にとって、今はいい時代になりました。いくらだって、自分の執筆物がWebで世界中に読んでもらえるからです。
そんな恵まれた世の中にいながら「プロになりたい」と吠えるばかりで何も書いていない(発信していない)人は、たぶん「プロを目指している自分」が好きなだけじゃないかと。

「書く時間がない」ことを言い訳にする人は、たぶん作家にならなくてもいい種類の人です。
リアルが充実しているなら、それでいいじゃないですか。
何も作家じゃなくても、世の中に「好きなこと」「やりたい仕事」はたくさんあるのですから。
「プロになりたい」と望む人のことは応援したいけれど、趣味レベルを脱していないとわかる人には、やはり厳しくても「やめたほうがいいんじゃね?」と言ってしまいます。

表現者は常に「世に訴えたい何か」を抱えているものです。
端的にいえば「聞いて聞いて!」が日常に溢れている状態です。
それらをブログやSNSで出し続けるエネルギーが枯渇しない人は、いつかきっとその文字がお金になる日がくるはず。

書き続けるのは「根性」ではありません。
沸き上がる「情熱」や有り余る「エネルギー」を、文章という形で残さずにはいられない。
常に自分の中に伝えたい「メッセージ」がある。

──だから、いつまでも書き続けることができるのです。

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この日の夜は、彼氏が仕事帰りに「肉のさいとう」で名物のメンチカツとチキンカツを買ってきてくれました。
メインがあると、作るのは汁物と主食と副菜だけで済むので、助かります。


玄米炊く前に彼氏が帰宅したので、主食は冷奴(笑)
キャベツの千切りができない、不器用なあたしを許して。

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