愛犬エディが他界しました(その1)

ペット・動物

去る11月2日、愛犬エディが虹の橋を渡りました。

享年17歳。人間換算では90歳近く。チワワとしては、かなりの長生きです。

たまたま旅行で動物病院に預けていたその日。
お迎えに行く予定の1時間前に発作(※)を起こし、病院から連絡が入りました。
私は出先から中座して病院へ駆けつけましたが、到着したときにはもう心停止状態で、心臓マッサージが行われていました。

※エディは2歳から(水頭症による)てんかん持ちで、ずっと薬を飲ませていました。てんかん発作は心臓に負担がかかるので、高齢になり「次に発作起きたら危ないかも」と言われていました。

まだ暖かいエディのそばで、何度も耳元で呼びかけました。まぶたを開いても眼球は動かず、口を開いても舌は動かず、触られると嫌がる鼻や爪をいじっても、まったく反応しません。

もはや目の前にいるのは、エディの形をした別の何かであり、魂はもう抜けてしまったことを察した私は、マッサージしてくれている看護師さんに「もういいです」と告げました。

心電図反応が途絶え、獣医さんと看護師さんたちが神妙な面持ちでエディを囲み、哀しみの沈黙が訪れました。
「キレイにしてからお渡しします」と言われ、私は待合室に戻りました。

再び呼ばれて診察室へ入ると、バスタオルに包まれたエディが診察台の上に鎮座していました。獣医さんが、持参した犬バッグに亡骸を入れてくれました。
診察室を出てお会計を済ませ、もう不要な診察券を返却し、動物病院を出ました。

そこから自宅までの道のりは、エディの散歩で何度も通ったところ。
キレイな夕陽を眺めながら、呆然と歩きました。

ウチに帰って、いつものようにハウスへ入れて、水を飲ませて、ただいまとおかえりを言って、離れていた数日間を埋めるように抱っこして、エディとおしゃべりするはずだった時間。

だけどもう何を話しかけても返事はなく、どれほど触っても反応はありません。バッグの中のエディは暖かいのに、もう生きていないからです。

無言の帰宅。安らかな寝顔です。

そこから旦那が帰ってくるまで、私は衝動的にあらゆる犬のモノを片づけました。ケージを分解し、洗い替えのベッドや服やケアするグッズやフードを全てゴミ袋にまとめました。

「もう二度と生き返ることはない」ならば、未練を残しそうなものは一気に排除しようと思いました。事務的に身体を動かしている間だけは、現実を直視せずにいられます。

一連の作業を終えた私は、覚悟をしてエディの亡骸に触れました。
エディは少しずつ体温が失われ、死後硬直が始まっていました。

もうこれはエディじゃない。
魂の抜けた犬の亡骸は、まるでぬいぐるみのような感じです。
この瞬間、抑えていたものがこらえきれなくなりました。

もうごはんを作る気力もなく、旦那が帰宅してもずっと泣いてました。
食欲もなかったけど、旦那が大阪で買ってきた551の肉まんを蒸してくれたので、少しだけ食べました。

昔、飼っていた猫を見送ったことのある旦那が、エディを保冷剤で冷やしました。
このぬいぐるみみたいな物体は、つい数時間前までエディという生き物でした。
死んだものは放置すると腐ります。そんな簡単なことも、私は思いつきませんでした。

過去、実家で飼っていた犬や猫を見送りましたが、それらの手続きは父親がやっていました。そもそも実家を出た後に他界した子は、死に目にすら会えていません。
そういう意味では、ペット(犬)の里親になってから見送るまで一連の経験をしたのは、今回が初めてでした。

その後はお通夜らしく、旦那と生前のエディについて何時間も語りました。時折エディの亡骸を撫でたり匂いを嗅いだりして、もう帰らない無念さに、しくしくと泣きました。

(つづく)

タイトルとURLをコピーしました